映画「泥の河」ではお化け鯉が消されたのはなぜ?
2006年 07月 02日
「泥の河」を見ていて、印象に残ったシーンが2場面あった。
一つの場面はキツちゃんが石油ランプをいれた缶にカニを入れて、一匹一匹、甲羅に火をつけるシーンだった。二人が天神祭から船宿の帰って、カニの巣を取り出したとき、ベニヤ板で仕切っただけの隣部屋から母親のかすかなよがり声が聞こえてきた。それを耳ざとく聞いたノブちゃんは帰るといった。ノブちゃんが帰るのを引き留めるために「おもろいことをしよ」とキツちゃんはいって、カニに火をつける。少年のこころの闇を見事に表現している。映画ではカニに小さなマイクをつけてそのときのカニの発する音を拾って効果を出している。このシーンは原作にあった。
もう一つのシーンは台所で銀子ちゃんが米びつに手を突っ込んでいた。ノブちゃんが「なにしんのん?」と聞いたとき、「お米、ぬくいんやで」と答える場面だった。ノブちゃんも手を突っ込むが、「つめたいわ」という。この一言で、二人の置かれた境遇の違いを見事に表現されていたのに驚いて、はたして原作はどうなっているかと思って開いたが、やはり同じせりふがあった。
「お米がいっぱい詰まっている米櫃に手エ入れて温もってるときが、いちばんしあわせや。・・・うちのお母ちゃん、そない言てたわ」
原作と同じだった。
原作にあって、映画で消している重要な部分があった。
ノブちゃんとキツちゃんとが橋の上で知り合ったきっかけは「お化け鯉」だった。背丈ぐらいある巨大な鯉は泥河の水面にうねっているのを見つけた二人は二人だけの秘密としていた。ノブちゃんがはじめて宿船にキツちゃんを訪ねたとき、ノブちゃんはお化け鯉を見たと嘘を言った。
ある早朝、ノブちゃんは川の中央でゴカイを採っていた老人の船を見ていた。ちょっと顔をそむけて、また、老人の船を見たときには老人の姿はなかった。死体は発見できなかった。父親と警察へ行き、そのときの状態を説明するが、「じいさんは墜ちたのか、飛び込んだのか」と聞かれて、そんなの知らん、と、いい、「お化けみたいなでっかい鯉に、食べられてしもうたわ」と答えた。ここまでは映像としてあるが、さいご、宿船がぽんぽん蒸汽に引かれていくシーンで、ノブちゃんはいつまでも追っかけていくシーンで終わっている。その間、5分30秒。船をおっかけがら「キツちゃん、キツちゃん」と小声で呟きながら走り、橋の上に来て大声で「キツちゃーん」と叫ぶ。船は暗いトンネルの中へ曳かれていくところで終わる。
ところが、原作では
「きっちゃん、お化けや。ほんまにお化けがうしろにいてるんやェ」
信雄は、最後にもう一度声をふりしぼって叫び、そこでとうとう追うのをやめた。
熱い欄干の上に手を置いて、曳かれていく船の家と、そのあとにぴったりくっついたまま泥まみれの河を悠揚と泳いでいくお化け鯉を見ていた。(『泥の河』宮本輝)
で終わっている。ノブちゃんが曳かれていく宿船にいるキツちゃんに必死に伝えかったのは人を飲み込むようなお化け鯉が船の後を追っかけてついて行くのを知らせたかったのだった。宿船の行方を暗示していて、それを伝えることができなかった、ノブちゃんの叫びだったのだ。
肝心のところを、小栗康平はなぜ映画で捨てたのだろうか。
5分30秒の長いシーンで10回ほど「キツちゃん」といわせているのと、 「きっちゃん、お化けや。ほんまにお化けがうしろにいてるんやェ」と叫ばせるのと、物語は全く違った展開となる。
小栗監督は最後の暗いトンネルに吸い込まれていくシーンで暗示させたかったのだろうか?
一つの場面はキツちゃんが石油ランプをいれた缶にカニを入れて、一匹一匹、甲羅に火をつけるシーンだった。二人が天神祭から船宿の帰って、カニの巣を取り出したとき、ベニヤ板で仕切っただけの隣部屋から母親のかすかなよがり声が聞こえてきた。それを耳ざとく聞いたノブちゃんは帰るといった。ノブちゃんが帰るのを引き留めるために「おもろいことをしよ」とキツちゃんはいって、カニに火をつける。少年のこころの闇を見事に表現している。映画ではカニに小さなマイクをつけてそのときのカニの発する音を拾って効果を出している。このシーンは原作にあった。
もう一つのシーンは台所で銀子ちゃんが米びつに手を突っ込んでいた。ノブちゃんが「なにしんのん?」と聞いたとき、「お米、ぬくいんやで」と答える場面だった。ノブちゃんも手を突っ込むが、「つめたいわ」という。この一言で、二人の置かれた境遇の違いを見事に表現されていたのに驚いて、はたして原作はどうなっているかと思って開いたが、やはり同じせりふがあった。
「お米がいっぱい詰まっている米櫃に手エ入れて温もってるときが、いちばんしあわせや。・・・うちのお母ちゃん、そない言てたわ」
原作と同じだった。
原作にあって、映画で消している重要な部分があった。
ノブちゃんとキツちゃんとが橋の上で知り合ったきっかけは「お化け鯉」だった。背丈ぐらいある巨大な鯉は泥河の水面にうねっているのを見つけた二人は二人だけの秘密としていた。ノブちゃんがはじめて宿船にキツちゃんを訪ねたとき、ノブちゃんはお化け鯉を見たと嘘を言った。
ある早朝、ノブちゃんは川の中央でゴカイを採っていた老人の船を見ていた。ちょっと顔をそむけて、また、老人の船を見たときには老人の姿はなかった。死体は発見できなかった。父親と警察へ行き、そのときの状態を説明するが、「じいさんは墜ちたのか、飛び込んだのか」と聞かれて、そんなの知らん、と、いい、「お化けみたいなでっかい鯉に、食べられてしもうたわ」と答えた。ここまでは映像としてあるが、さいご、宿船がぽんぽん蒸汽に引かれていくシーンで、ノブちゃんはいつまでも追っかけていくシーンで終わっている。その間、5分30秒。船をおっかけがら「キツちゃん、キツちゃん」と小声で呟きながら走り、橋の上に来て大声で「キツちゃーん」と叫ぶ。船は暗いトンネルの中へ曳かれていくところで終わる。
ところが、原作では
「きっちゃん、お化けや。ほんまにお化けがうしろにいてるんやェ」
信雄は、最後にもう一度声をふりしぼって叫び、そこでとうとう追うのをやめた。
熱い欄干の上に手を置いて、曳かれていく船の家と、そのあとにぴったりくっついたまま泥まみれの河を悠揚と泳いでいくお化け鯉を見ていた。(『泥の河』宮本輝)
で終わっている。ノブちゃんが曳かれていく宿船にいるキツちゃんに必死に伝えかったのは人を飲み込むようなお化け鯉が船の後を追っかけてついて行くのを知らせたかったのだった。宿船の行方を暗示していて、それを伝えることができなかった、ノブちゃんの叫びだったのだ。
肝心のところを、小栗康平はなぜ映画で捨てたのだろうか。
5分30秒の長いシーンで10回ほど「キツちゃん」といわせているのと、 「きっちゃん、お化けや。ほんまにお化けがうしろにいてるんやェ」と叫ばせるのと、物語は全く違った展開となる。
小栗監督は最後の暗いトンネルに吸い込まれていくシーンで暗示させたかったのだろうか?
by and_diary
| 2006-07-02 19:29